セキド雑記

ネットの片隅の実況者の雑記

顔を出さない実況者って絶滅するのかなって話

初めに

 今回は「顔を出さないゲーム実況者はマイナーになっていくのではないか」という話をしていきたいと思います。この話は僕の個人的な感想を長々と書いた駄文なので全然同意できないよって方も居ると思うのですがご容赦ください。あくまで個人的な感想です。

 

 バーチャルYouTuberと顔を出さない実況者

 どうも皆さんこんにちは、セキドと申します。

 この文章を読んでいる大半の方は御存知ないと思うのですが僕は普段そこまで再生数もないゲーム実況動画を自己満足で上げることを趣味としています。今まで上げた実況動画の平均再生数は(一部カード開封動画も含まれていますが)YouTubeで40、ニコニコ動画で200程度となっていて、あまり勢いのある実況者という訳ではありません。(こんな僕を見てくれる人がここまで居るのは個人的には過ぎた数字だとは思うのですが僕が勢いのない実況者だというのはあくまで相対的に見た場合の話です。いつも動画を見てくれている皆さんは本当にありがとうございます。)

 さて、そんな僕はネットの片隅にひっそりと暮らすゲーム実況者であると同時に一動画ファンでもあります。というか費やしている時間から言うと後者の方が本業?であると言えるでしょう。動画視聴の際にはゲーム実況者に限らず歌い手やYouTuberなどいろいろな方の動画を見ているのですが、最近特に嵌っているのはバーチャルYouTuberです。2017年の年末にバーチャルYouTuberがブームになって以来一年に渡ってそれなりの数のバーチャルYouTuberの動画や配信を見てきました。バーチャルYouTuber界隈は非常に勢いがあり刺激的で面白いので、僕はすっかり虜になっている訳ですが、ではなぜそんなにもバーチャルYouTuberに嵌ったのかというと、その理由の一つはバーチャルYouTuber界隈がキャラクター文化の側面を持っていたことがあります。

 キャラクター文化というのは「仮想のキャラクターの存在を認めそれを楽しむ文化」です。バーチャルYouTuberの定義云々は面倒な話なので控えますが、この側面はバーチャルYouTuberにおいては欠かせない側面であると思います。バーチャルYouTuberはよく批判や指摘として「顔出しをしないゲーム実況者(や生主)と変わらない」と言われることがあるのですが、この文化がバーチャルYouTuberと顔出しをしない実況者をかなり大きく隔てるものだと僕は考えています。

 例えば、バーチャルYouTuberののらきゃっとさんのプロデューサーさんが配信中に顔を出してしまった事件がありましたが、この時はバーチャルYouTuberのキャラクター文化が大きく存在感を発揮したと思います。「バーチャルYouTuberミッキーマウスみたいなものだ」というのはうまい説明だと思うのですが、要するにミッキーの中身が着ぐるみアクターである事を誰もが知っていてもそれをいちいち指摘するのは無粋であるように、バーチャルYouTuberを誰が動かしていてもそれをわざわざ指摘するのは無粋だという前提がバーチャルYouTuberファンに共有されていたために外野の野次馬はともかくのらきゃっとさんのファン自体はそれなりに落ち着いていました。影響が全くなかったとは言いませんが、バーチャルYouTuberのファンにはキャラクターをキャラクターとして、建前を建前として、設定を設定として楽しむべきだという規範があったために「のらきゃっと」というキャラクター自体が存在不可能になることは決してありませんでした。

 一方、顔出ししないゲーム実況者が常に背負わされているのは「この人の実際の顔はどうなっているんだろう?」という疑問です。これは必ずしも悪意に基づいた疑問であるという訳ではなく、むしろそのゲーム実況者のファンに生じる当然の疑問であったと思います。好きな人だからこそもっとその人について知りたい、好きな人だからこそ顔を知りたい、と思ってしまうのは仕方のない事でもあります。しかし顔出ししていなかったゲーム実況者の現実の顔と彼らのネット上のイメージには必ずギャップがあります。この時、前述のバーチャルYouTuberとは違いゲーム実況文化にはキャラクター文化が弱いためにそのギャップはあまり許容されません。例えば顔出しをせずに可愛らしい声やカッコいい声で人気となり「可愛い」、「カッコいい」というイメージを作ってきた人の現実の顔が美人ではなかったら、イケメンではなかったら、それまで築き上げてきたイメージはその現実の顔の印象に上書きされてしまいます。これはある意味でその人がそれまで作り上げてきたイメージ(キャラクター)の死と言えるでしょう。それだけでなくあまりにも現実とネットのギャップが大きいと「騙していた」と非難されることすらあるのです。これは例えそれがエンターテイメントの一環でも誇張や嘘は悪であるという意識が根底にあると考えられますが、近年はこの意識もますます強くなっているように感じます。

 僕はこのような顔出しの際の現実とイメージのギャップに対する非難が好きではありませんでした。ギャップにがっかりしてしまう人たちの心情が理解できない訳でも無かったですが、ネットはネットなのだから現実の顔なんて気にしないで楽しめばいいのに、と思っていたので誰かの顔バレがファン離れや非難を引き起こす度に心苦しい限りでした。故にキャラクター文化を有し、ネットのキャラクターとそれを動かす人間は別物であるという前提があるバーチャルYouTuber文化に惹かれたのです。

 

ゲーム実況者のキャラクター性は失われて来た

 ゲーム実況においてはキャラクター文化が弱いことは説明しましたが、だからといってゲーム実況者にキャラクター性が無かったわけではありません。ニコニコ動画でゲーム実況が盛んになりだした2010年前後のニコニコ動画においてなどでは、日本のネットで個人情報を晒すことを忌避する文化のために実況者は殆ど全員顔出しせず自身の情報もあまり出さないで活動していました。現実のパーソナリティが全く分からずネットでのみ活動する彼らは、そのためある種のキャラクターとしてネット上で活動していたのです。彼らがキャラクターであったことはネットでのイメージのみに基づいたファンアートが(顔バレの後ですら)描かれていたことが証明していると考えます。しかしゲーム実況者のキャラクター性は時代が下り、実況者の顔出しが当たり前になるにつれて失われていきました。顔を出さない状態であればどこか雲の上の存在だった実況者も、顔を出せば身近でどこにでもいそうな存在となるからです。彼らはなんらかの作り上げたイメージをまとった存在ではなく、等身大で活躍する人間になっていきました。

 

故実況者の顔出しが増えたのか

 ゲーム実況者が顔出しを増やした理由は僕の考えつく限りでは二点あります

 一つ目の理由はゲーム実況が海外の顔出し文化に影響されたことです。これは特にYouTuberの日本での台頭の結果もたらされたものです。元々顔出しに抵抗が無い海外のYouTuberの影響を受けている日本のYouTuberは当然のように顔出しを元からしていて、そんな彼らにとって現実の自分とネットの自分は当然同一の存在です。これはYouTuberだけでなくYouTubeで活動する実況者も同じことで、彼らは顔出しをそこまで忌避しませんでした。またニコニコ動画が衰退しYouTubeが動画投稿の主戦場になるとそれまでニコニコ動画で顔出しをしないで活躍していた実況者も徐々にYouTubeの潮流に合わせて顔出しをするようになっていきました。

 二つ目の理由は実況者が活動の幅を広げていったことです。ゲーム実況文化が花開いた2010年前後においては実況者というのはグレーな存在でしたが、近年はその影響力の強まりが認められてかゲーム実況が黙認されたりゲームの宣伝やゲームの公式生放送にゲーム実況者が起用されることが増えました。この際顔出しを出来ない実況者よりも顔出しできる実況者の方が当然起用しやすく、そのような機会に恵まれたいならば顔出しをする方が有利になっていきました。

 このような理由から実況者の顔出しは増えていき、そして今後さらにその潮流は加速し実況者の顔出しは当たり前となっていくと考えられます。勿論一部の長年顔出しをしないで活動を続けてきて既に人気を得ている実況者は、前述のようにイメージが崩れることを考えれば今後も顔出しはしないでしょうが、偶発的な事故で顔がバレてしまえばそれを隠すよりは堂々と活動の幅を広げていった方が得でしょうし、これから実況を始める方は顔出しをしないで活動してイメージが強固に固定化される前に顔出しを視野に入れた方が活動しやすいでしょう。そして更に言うならば活動の幅を広げられるという顔出しのメリットを考慮しても顔出しをしたくないならば、ゲーム実況者になるよりはむしろキャラクター文化を有するバーチャルYouTuberとして活動した方が不慮の事故で顔バレした時の対策になりますし、バーチャルYouTuberとして公式放送等に参加する例は珍しくないので、公式放送等の活動も将来的に選択肢に入れることが出来ます。

 以上のように考えれば、今後「顔を出さない実況者」というのはどんどんマイナーな存在になってくのではないでしょうか。

 

 

※ここから先はより私的な単なる感想です

 

 

顔を出さない実況者への懐古

 ここまでの話で僕は顔出しをしないゲーム実況者のキャラクター性はバーチャルYouTuberになれば守れると言っている訳ですが、しかし顔出しをしないゲーム実況者はバーチャルYouTuberの「劣化」ではないとも考えています。バーチャルYouTuberがかつての顔出しをしない実況者を代替できない面が一つあります。それは「神秘性」です。

 昔の顔出しをしない実況者にはある種の神秘性が生じていました。例えば、僕が好きだった実況者には「ジェネシス」という方が居たのですが、独特な語り口でポケモンバトルレボリューションの対戦実況をしていた彼は動画内で「新年早々アメリカの地方銀行を一つ潰した」と発言したことがありました。証拠のある発言ではありませんし実際に詳しく調べた時にその時期にアメリカの地歩銀行が潰れていてそれに日本人が関わっていたという話が見つかるなどとは僕も思っていませんが、しかし全く正体不明でゲーム実況をする謎のカリスマ性を漂わせたジェネシスにはその話が本当なのではないか、と少し思わせるようなある種の「凄み」がありました。ゲーム実況者の神秘性とはこういうことで、僕はこの神秘性が何よりも好きでした。

 

ジェネシスは、実は本当に世界を又にかけるスーパーエリートなのかもしれない。」

 

 懐古厨と思われても仕方ありませんが、こういう感覚はかつての顔出しをしないゲーム実況者にしか抱けなかったものだと思います。

 バーチャルYouTuberは確かにキャラクターを認めますが、それは裏側に「これはフィクションです」という但し書きがあるからです。分かり切ったファンタジーに突っ込みを入れるのが野暮だという自制は、裏を返せばそのキャラクターの真実性は最初から否定されているという事でもあります。私は様々な設定を有したバーチャルYouTuberを楽しんでいますし、例えそのバーチャルYouTuberを動かしている存在の実態を知っていたとしても気持ちが揺らぐことはありません。これは非常に素晴らしい環境なのですが、要するにフィクションはフィクションだと分かっているから動じないというとでもあります。ここでは私がかつてのジェネシスに感じたような凄みを感じる機会は失われています。

 しかしながらこれはバーチャルYouTuberの欠陥ではありません。何故ならこのような神秘性が失われた根本の原因はネットそのものから神秘性が失われたからです。

 かつてのネットはブラックボックスでした。誰が使っているかもわからないネットという闇が様々な都市伝説の存在を可能としていました。

 

「この話は嘘だろう。しかし本当かもしれない・・・・・・・・。」

 

 そう信じさせる力がネットにはありました。しかしネットの利用者が急増し様々な現実社会とのリンクが実現された今、ネットは現実社会とは違う異世界ではなく、現実社会の延長となりました。人通りの少ない道では存在できた妖怪が道の往来や街灯が多くなれば消えるように、ネットの神秘もまたネットの普及と共に消えました。実況者の神秘性も消え去る物の中の例外ではなかったのです。

 僕が最後に見た神秘性を持った実況者を上げるとするならば、それは「XXハンター」です。彼は爆発的な話題を引き起こし、そして去っていきましたが、その知名度とは裏腹にあまり多くの情報を示さなかった為に様々な噂話がついて回りました。どうとでもその正体を考察できるXXハンター、彼は今のところ最後の神秘性を纏った実況者であったと言えるのではないでしょうか。個人的に今後彼のような存在が現れるとはあまり思えませんし、彼の活動期間が2017年の5~6月であり、バーチャルYouTuberの登場前であったことは、もしかしたら実況者の神秘性の終焉を伝えてくれていたのかもしれません。

 

 

最後に

 最初の自己紹介の通り、僕は勢いのないゲーム実況者です。勢いのない、「顔出しをしないゲーム実況者」です。僕の活動開始時期の2018年6月はバーチャルYouTuberブームの後で、僕はバーチャルYouTuberになることも可能でしたが、僕はバーチャルYouTuberにはなりませんでした。今回書いたような事をはっきり意識していたわけではありませんが、しかし僕はジェネシスやXXハンターのように神秘性のあるゲーム実況者に憧れてゲーム実況者になったのです。僕が神秘性を持てるかと言えば、ネットの神秘性云々の前にこのような女々しい懐古的な文章を書いている時点で、自分を等身大に見せてしまうSNSをやっている時点で、特に深い考えもなく実況をしている時点で不可能だとは思うのですが、しかしそれでも叶わない夢は抱きたくなるものです。いつの日か消えるその時まで、僕は等身大以上に自分を見せかけられる実況者となる夢を抱いたままま活動していきたいと思っています。